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2018.07.20 【訃報】脚本家の橋本忍さんが亡くなられました(享年100)

「羅生門」「七人の侍」「砂の器」など日本映画を代表する脚本家の橋本忍さんが
7月19日に亡くなられました。100歳でした。

1918年兵庫県生まれ。
会社勤めをしながら脚本家・監督の伊丹万作に習作シナリオを送り指導を受け、
46年伊丹監督の死後上京、伊丹夫人から佐伯清監督を紹介されたつながりで黒澤明監督と出会いました。

1950年、芥川龍之介の小説『藪の中』と『羅生門』を原作に黒澤明と脚色、黒澤がメガホンをとった「羅生門」で脚本家デビュー。
本作がヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞し一躍注目を集めました。
以後、黒澤監督の脚本チームの一員となり、「生きる」(52)「七人の侍」(54)「生きものの記録」(55)「蜘蛛巣城」(57)「隠し砦の三悪人」(58)「悪い奴ほどよく眠る」(60)までを小国英雄、菊島隆三らと共同執筆し、黒澤監督の全盛期を支えました。

「張込み」(58・野村芳太郎監督)、「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(60・堀川弘通監督)、「ゼロの焦点」(61・野村芳太郎監督)など、松本清張の社会派推理小説の脚色も多く手がけました。

1958年、戦犯に問われた兵士の苦悩をフランキー堺主演のドラマ「私は貝になりたい」で脚本を執筆し芸術祭賞受賞。
1959年自身の脚本・監督で映画化し監督デビューも果たしました。

以降、「切腹」(62・小林正樹監督・カンヌ国際映画祭審査員特別賞)、「白い巨塔」(1966・山本薩夫監督)、「上意討ち 拝領妻始末」(67・小林正樹監督)、「どですかでん」(共作)(70・黒澤明監督)、「日本のいちばん長い日」(67・岡本喜八監督)、「日本沈没」(73・森谷司郎監督)など、相次いで大作の脚本を手がけました。

1973年、野村芳太郎監督、森谷司郎監督ら6人で映画製作会社の橋本プロダクションを設立し、
第1作として製作された松本清張原作を自ら脚色した「砂の器」(74・野村芳太郎監督)が大ヒットを記録、数々の映画賞を受賞。続く、八甲田山雪中行軍を再現した超大作「八甲田山」(77・森谷司郎監督)は、当時の配給収入新記録となる大ヒットとなりました。第3作となる「幻の湖」では自らオリジナル脚本と監督を兼ね、東宝と提携製作しました。

生涯の脚本作品は70本以上。
映画界に多大な功績を遺した橋本忍さんのご冥福をお祈り申し上げます。

日本映画専門チャンネルでは橋本忍さんの追悼企画を準備中です。
詳細が決まり次第、ご案内いたします。

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