“映画の新しい才能の発見と育成”をテーマに1977年からスタートした「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」も今年でついに第40回。
新人監督の登竜門として、映画コンペティション「PFFアワード」を中心に“新しい才能”を発見し、紹介し、育成していくプログラムが特色となっている。そこで今回は、同映画祭ディレクターの荒木啓子氏、そして2000年に行われた第22回PFFでグランプリをはじめとした4冠を獲得した李相日監督の対談が実現。映画祭の見どころをはじめ、若き映画作家をめぐる現状まで、深く語り合った。
■応募したきっかけは荒木さんと出会ったこと
――李監督は『青 chong』で、2000年のPFFアワードグランプリを獲得しましたが、そもそもPFFに応募しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
李:端的に言うと荒木さんとの出会いですよ。
荒木:え?
李:荒木さんは覚えていないかもしれないですが(笑)。もともと『青 chong』は日本映画学校の卒業制作だったので、映画祭に出そうという発想がなくて。でも確か釜山映画祭だったと思うんですが、そこで荒木さんに初めてお会いして。「そういう作品があるのなら、次のPFFアワードに間に合うから応募してみれば」と言っていただいて。それがきっかけでした。
荒木:まったく忘れていました(笑)。でも2000年当時は、どうやって映画の世界に入ったらいいのか、今よりも分からない時代でしたからね。今みたいに何かの映画の企画のコンペや、プロデューサーとの交流会みたいなものがまったくなくて。いろんな人に会いに行くような積極的なタイプの人でなければなかなか活路は見出せなかったと思います。そんな中で李監督はものすごく積極的に頑張っていたと思います。
――李監督の『青 chong』作品をご覧になった時の記憶はどうですか?
荒木:「うまっ!」という感じですよ(笑)。
李:聞きましたか、今の(笑)。字面だけではうかがい知れない、その言葉の裏に色々な意味合いが隠された言い方でしたね。
荒木:それは穿ち過ぎですよ(笑)。ただこの映画を観て、これはちょっと、他の応募者がかわいそうだなと思いました。ふたを開けてみれば案の定、『青 chong』が4つの賞をとった。審査員も、少しは他の監督にも賞をあげてくれよとは思いましたけどね(笑)。でもこの4冠の記録はいまだに破られていないんですよ。
――応募した時、自信はあったんですか?
李:僕の持つPFFのイメージとは、それこそ石井聰互(現・石井岳龍)さんや橋口亮輔さん、塚本晋也さんのような、ある種の異能の人というか。情念が湧き上がり、沸騰したエネルギーが炸裂するようなイメージだったんですよ。だから荒木さんから「うまっ」と言われてしまうような、客観的に構築された映画がPFFで評価されるなんて想像もしていなかった。それは謙遜ではなく、今までのPFFのカラーにそぐわないなと思っていたから。だから何かひとつでも賞に引っかかればいいというのが本音だったんですよね。
――それでも結果として4部門で受賞したわけですから。
李:人生の運の大半をそこで使っちゃいましたね(笑)。
荒木:いやいや、でも大人の映画が出てくるというのは素晴らしいことなんですよ。今、映画監督は自分で自分をプロデュースできる感覚がないと生きていけない時代になっています。誰も映画監督を職業として保証してくれないですし、強い意志がないと映画監督はやっていけない。李監督みたいに自分を客観的に見る能力が高い人がどんどん増えてほしいなと思っているんですよ。私は、李監督は本当に素晴らしい監督だと思っていますよ。
李:(笑)
荒木:そうやって茶化しちゃうんだけど(笑)。でも本当にうまいなと思いましたよ。